「自由が丘」という名前はコンテンポラリーダンサーがつけた!? 〜創作舞踏家 石井漠さんのお話〜
「吾々の生活の中に真実を求めようとするのであるが、創作舞踊すなわち『舞踊詩』は歌詞によらず文学によらず、自らの思想感情をじかに体の動きによって表現する。技巧は詩の言葉に相当するもので、従って錬磨を必要とする。ここでは日本も西洋もない」
自身の創作舞踊を「舞踊詩」と名づけて創作舞踏を世界に問うた舞踏家がいます。
1886年 秋田県に生まれた石井漠(石井忠純)さん
(以降、敬称略で失礼致します)
石井漠は、ニジンスキーと並び称されるほどの天才舞踊家で、欧州やアメリカのカーネギーホールなど海外公演も多く行いました。
晩年の作品、「人間釈迦」は1929年に芸術祭賞(文部大臣表彰)を受賞し、1930年には、記念すべき第一回の紫綬褒章が授与されています。
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そんな石井漠とその仲間が「自由が丘」という地名を名付けました。
国内での活動だけでは物足りず、海外に出て
2年ほど大活躍した石井漠。日本に帰ってきて、最初は武蔵境に研究所を持ちますが、後に千六百平方メートル余りの土地を栗山という大地主から借り受け、自由が丘に研究所を移転させます。
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実は、「自由が丘」という地名が作られる上で重要な人物がもう一人います。
手塚岸衛という教育者で、「自由ヶ丘学園」を創設し、リトミック教育を日本で初めて、学園の中で展開した人物です。子どもの自発性、自主性を最大限に発揮させる「自由教育」を提唱しました。
「自由ヶ丘学園」を展開する手塚と仲が良かった石井漠。彼をはじめとする街の文化人の強い要望を受け、「自由ヶ丘駅」が名付けられました。
(*当初は「衾(ふすま)駅」となる予定でした。自由が丘付近は栗山家と岡田家というリーダーシップをとる大地主がおり、そうした地主の呼びかけも影響したことと思います。)
住人もその名称を気に入り、正式な名称ではない「自由が丘」を住所として記述するようになったといいます。
自由が丘という街は人々の文化的な想い、アーティスティックな感性、生きたエネルギーによって生まれたのですね。スイーツの街になったのは本当に後のこと。。。
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自由が丘は大岡山から電車で3分(急行利用😉)。お教室から自由が丘まで歩いて10〜15分ほどです。
講師も「子どもの自発性、自主性を最大限に発揮させるという自由教育」をさせていただきたいので、そういう歴史を知って、歴史に支えられている気持ちがちょっとしました。
宇澤音楽教室も、手塚氏や石井氏の精神を受け継げるところは受け継ぎ、土地や歴史の一部になって文化を継承できたらいいなぁ...夢が偉大すぎるかしら...とぼんやり妄想しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました😊
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宇澤音楽教室は目黒区大岡山にある音楽教室です。
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ピアノ、エレクトーン、作曲、ソルフェージュなど多岐に渡るコースがございます。
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